2025-08-29

インド:伝説的アスリートの商標とアスリート・ブランドの出現 - Chadha & Chadha IP

インドにおいてクリケットは単なるスポーツではなく、人々を結びつける「感性」そのものだ。クリケットの試合観戦の醍醐味は、競技そのものだけではなく、ファンの情熱やファンの代表である選手の魅力に深く根ざしている。中でも特別な存在が MSドーニー(マヘンドラ・シン・ドーニー)だ。冷静沈着な試合運びと戦略的な洞察力で知られるこの伝説的選手は、「Captain Cool(キャプテン・クール)」という愛称を当然のように得てきた。 

2025年6月5日、ドーニーはフィールド外で大きな一歩を踏み出し、「Captain Cool」を自身のブランドとして公式化するため商標として登録出願した。コルカタ商標登録局は、ドーニーの「Captain Cool」商標出願を受理し、2025年6月16日に公告した。とはいえ、ドーニーにとって「Captain Cool」の権利を得ることは本当に容易なことだったのだろうか。詳しく見ていくことにする。

インドにおけるアスリート・ブランディングの進化
 ソーシャルメディアやデジタルプラットフォームの台頭により、現代のアスリートは競技で戦うだけでなく、世界規模のオーディエンスの注目と支持を獲得しようとしている。スポーツ業界における「パーソナルブランド」とは、選手のキャリアや功績を反映する明確なアイデンティティを構築・維持することを意味する。これにより、アスリートは好意的なイメージを築き、スポンサーシップや広告契約を得て、ファンへの影響力を高めることができる。
強力なブランドを築くためには、アスリートは自らの差別化要素を認識し、定期的に魅力的なコンテンツを発信し、複数のSNSを活用し、適切なブランドと提携し、広告機会を最大限活かす必要がある。

 インドでも多くの事例があり、例えば選挙管理委員会がムンバイ出身の伝説のクリケット選手サチン・テンドルカールを「ナショナルアイコン」として、若者の投票意識を高めるキャンペーンを行ったことが挙げられる。さらに、インドのアマチュアボクシング選手「メアリー・コム」、「M.S.ドーニー ~語られざる物語~」、「ダンガル きっと、つよくなる」、「元女子クリケット代表キャプテンであるミターリー・ラージの半生を描いたShabaash Mithu」といったスポーツ映画は、偉大な選手の歩みを称えると同時に、パーソナルブランディングの戦略的ツールにもなっている。こうした取り組みは、アスリートの知名度を高め、新たな広告機会を創出し、商業的にも社会的にも影響力を強める効果を持つ。

事例研究:ブランドとしての「MSドーニー」
 MSドーニーは、教育、娯楽、トレーニング、スポーツ活動に関連するサービスをカバーする第41類で商標「Captain Cool」をコルカタ商標登録局に登録出願した。この出願は受理され、2025年6月16日に公告され、120日間の異議申立期間が設けられた。
 ここで登場したのが法律事務所 KAnalysis Attorneys at Lawだ。この事務所は、ドーニーの「Captain Cool」商標登録に対して異議を申し立てた。主張の根拠は以下の通り;
* 使用実績が証明されていない
* 出願された商標は一般的に使われるものである

 異議申立側の弁護士Nilanshu Shekharは、ドーニーの商標出願は当初「将来使用予定」として申請されたにもかかわらず、後に「2008年から使用」と修正された点を指摘し、その際、宣誓供述書、請求書、広告資料などの証拠が提示されていなかったと主張した。さらに、異議申立人は「Captain Cool」がファンや解説者、メディアによってドーニーを形容する際に広く使われてきた一般的な呼称であり、賞賛的かつ記述的であるため、商標の識別性要件を満たさないと述べた。すなわち、「一般に広く使用されている用語に、継続的かつ独占的な商業利用の十分な証拠なしに商標保護を与えることは、憂慮すべき先例となりうる…」と。

 この異議は、パーソナリティに基づくブランド化や、著名人に対する商標保護の限界という、より広範な問題も提起した。本件は現在インドの商標登録局において係属中で、今後数か月以内に審理日が設定される見込みだ。

パーソナリティの商標化:法律上の位置づけ
 インドでは、パーソナリティ権を定める具体的な成文法は存在せず、その範囲も立法的には明確に定義されていない。一般的には、パーソナリティ権とは個人が自身の氏名や肖像などアイデンティティの要素を商業的・公的利用から保護・管理する権利を指している。 
これらの権利はプライバシー権と密接に関連しており、公的な人物や有名人が自身の名声を無断利用されたり、虚偽の広告に利用されたりするのを防ぐためのものだ。

 インドの裁判所は、成文法で明記されていないが、憲法第19条(1)(a)および第21条の規定と知的財産法を組み合わせる形で、パーソナリティ権を法的に認める方向へ進んでいる。
 例えば、元クリケットプレーヤーで後に議員となったガウタム・ガンビール(Gautam Gambhir)の名前「Gautam Gambhir」がレストランに使用された「Gautam Gambhir 対 D.A.P & Co.」事件で、裁判所は消費者の混同や名誉毀損が証明されなかったとして、原告の訴えを退けた。
 一方で「Jackie Shroff 対 The Peppy Store」事件では、デリー高裁が暫定命令を下し、映画俳優のジャッキー・シュロフ(Jackie Shroff)の名前や声、肖像を本人の承諾なしに商業利用することを禁止した。
 また、「Anil Kapoor 対 Simply Life India」事件では、裁判所は「名声は人格権や生活権、尊厳を侵害しうる」とし、映画俳優兼プロデューサーのアニル・カプール(Anil Kapoor)の人格的要素を保護する判決を下した。

結論
 MSドーニーの「Captain Cool」商標出願をめぐる論争は、インドにおけるパーソナリティ権や著名人の商標化をめぐる法的枠組みの不備と曖昧さを浮き彫りにした。現行のインド法には明確な成文法による保護はなく、憲法や商標法など複数の規定を寄せ集めた解釈に委ねられている。このため、判例による判断が一貫性を欠き、著名人が自らのアイデンティティを商業的に守る上で不確実性を生んでいる。

今回の異議申立が突きつけたのは、
* 一般的に使われるニックネームを商標として独占できるか
* 先使用や識別性を立証するためにどの程度の証拠が必要か
といった根本的な問題だ。本件の判断は、インドの商標法におけるアスリートのニックネームの扱いに先例を与える可能性がある。
 今後、スポーツやエンターテインメント産業が商業的に拡大する中で、インドの法制度もそれに適応し、パーソナリティ権をより明確かつ統一的に規律する必要がある。それまでは、アスリートが自らのアイデンティティを保護し収益化するための法的道のりは依然として複雑で不確実なままとなる。しかし、このような商標出願の増加自体が、著名人が単なるパフォーマーではなく、法と商業とアイデンティティの交差点で戦略的なブランドオーナーとなりつつあることを示している

本文は こちら (Captain Cool: Trademarking Legends and the Rise of Athlete Brands in India)