2025-09-24

インド:早まったQuia timet訴訟?デリー高裁による「使用前」侵害の判断 - Chadha & Chadha IP

はじめに
 知的財産権訴訟の領域において、「Quia timet(将来起こりうる権利侵害や不法行為に対してそれらが実行される前に差止請求を行うための裁判手続)」の法理は興味深い問いを投げかける。すなわち、実際の侵害がまだ生じていない段階でも、裁判所は将来の侵害を予防する救済を認め得るのかという問題である。デリー高等裁判所が下したDeepak Kumar Khemka 対 Yogesh Kumar Jaiswal事件の判決は、このような事前的措置を裁判所が受理するにあたり、原告が満たすべき厳格な立証基準を改めて確認したものである。本判決は、インド商標法の枠組みにおけるQuia timet訴訟の限界を明確に示したものといえる。

訴訟の経緯と事実関係
 控訴人(Deepak Kumar Khemka)は、商標「SHUDH」「SHUDH PLUS」「SHUDH PLUS ULTRA LABEL」を用いて、たばこ関連製品の製造・販売を営んでいた。2024年2月、被控訴人(Yogesh Kumar Jaiswal)は、第34類(たばこ関連製品)について、「ATS SHUDH」という標章を「使用予定に基づく出願(proposed to be used basis)」として商標登録出願した。これが公告された後、控訴人は異議申立を行うとともに、商事裁判所に対し、被控訴人に対する恒久的差止命令を求める民事訴訟を提起した。 

 訴訟の根拠は、被控訴人が「ATS SHUDH」を付した商品を市場に投入する蓋然性が高く、控訴人の既存商標権を侵害するおそれがあるという懸念に基づくものであった。しかし、市場調査の結果、そのような使用の事実は一切確認されなかった。控訴人は、それでもなお、商標登録出願という行為自体が侵害の現実的脅威を意味すると主張した。
しかし商事裁判所は、民事訴訟法第VII令第11条(a)に基づき、訴訟原因が存在しないとして訴状を棄却した。控訴人はこの決定を不服として本件控訴を提起した。

争点
 本件において主要な争点は以下の二点である;
1. 商標登録出願という行為それ自体が、1999年商標法第29条に基づく侵害訴訟の対象となり得るか
2. 被侵害標章の使用が現実に行われる蓋然性を示す信頼できる具体的証拠がない場合においても、Quia timet訴訟を維持し得るか

控訴人の主張
 控訴人は、被控訴人が紛らわしい商標を出願したこと自体、市場参入の意図を示すものであり、将来の侵害に対する合理的な懸念を生じさせると主張した。したがって、実際の使用がないことのみを理由に差止救済を拒むべきではなく、特に脅威が現実的でブランドの信用に損害が及ぶことが予見できる場合には、差止が認められるべきであるとした。
さらに控訴人は、商標登録局における異議申立手続は、商標法上の実体的権利を保護するには不十分であり、適時かつ十分な救済を求めることができない場合があるとして、このような状況においては、民事裁判所が利用可能でなければならないと主張した。

被控訴人の抗弁
 これに対して被控訴人は、被控訴人の商標登録出願は「使用予定に基づくもの」であり、市場での製品販売は一切行っていないと反論した。控訴人の市場調査においても、準備的措置や宣伝活動といった使用を示す証拠は確認されていなかったと指摘した。
また、控訴人はすでに法定の救済手段として異議申立を行っており、実際の使用がない段階で民事訴訟を提起するのは、時期尚早かつ不当であると主張した。

デリー高等裁判所の判断
 デリー高等裁判所は商事裁判所の判断を支持し、訴状には商標侵害またはQuia timet訴訟としての維持可能な訴訟原因が開示されていないと判示した。

 デリー高等裁判所は、最高裁判所のK. Narayanan 対 S. Murali及びDhodha House 対 S.K. Maingiの判例を引用した。これらの判例において、争われている商標について「取引過程において使用される」のでなければ侵害訴訟は成立しないことが確認されている。控訴人はNarayanan事件を「パッシングオフ」に限定すべきと主張したが、裁判所はその判断は広く一般に適用され、侵害訴訟にも及ぶとした。判決文24項において裁判所は次のように述べている。
「登録が認められる以前においては、その商標の侵害を主張する権利は当事者には存在せず、また登録されるか否かも未定の出願に基づいて、原告が訴訟原因とすることはできない。」
 デリー高等裁判所はさらに、1999年商標法第29条に基づく侵害訴訟の根本要件は「取引過程における使用」であり、出願という行為自体がたとえ意図を示唆するものであっても、侵害の原因にはならないと指摘した。

 判決文21項では次のように明快に整理している。
「侵害訴訟を開始させる契機は『使用』であって、原告の商標の登録や、被告による同一または紛らわしい商標の出願ではない。」

 また、デリー高等裁判所はQuia timetの法理が衡平法上の有効な救済手段(valid equitable remedy)であることを認めつつも、その適用には差し迫った脅威を示す信頼できる証拠が必要であるとした。侵害が「起こり得る」というだけでなく、「差し迫っており不可避」であることを原告が立証しなければならない。そうでなければ、訴訟原因は単なる推測にとどまるとした。判決文23項では次のように強調している。
「事実関係においても、商事裁判所は、被控訴人による問題の標章使用の懸念に基づくQuia timet訴訟を支えるための証拠は何ら提出されていないと認定している。」

 デリー高等裁判所は、訴状には事実的基盤、文書証拠、調査資料のいずれも欠如しており、問題の標章を付した商品が製造・流通に至ることを示す証拠はなかったと指摘した。むしろ、市場で製品が確認されていないことは当事者間で争いがなく、控訴人の救済は、すでに進行している異議申立手続に委ねられるべきものであり、民事訴訟は未成熟な懸念に基づく過早なものであると結論づけた。 

結論
 デリー高等裁判所の本判決は、商標法上の手続的保障と、侵害法理に基づく実体的救済との交錯に関し、重要な理論的明確性を与えるものである。本判決は、抽象的な懸念と法的に訴訟可能な脅威とを明確に区別し、予防的な訴訟は、差し迫った使用を示す実質的証拠に基づかなければならないことを改めて強調した。
 また、裁判所は、民事裁判所を推測的な請求で過度に負担すべきではないと警告し、予防的な法的戦略は信頼性のあるリスク評価に基づくべきであるとした。これにより、インドの法理は、証拠に基づいた規律ある知的財産権行使のアプローチと整合することとなった。

本文は こちら (Too Early to Sue? The Delhi High Court Weighs in on Pre-Use Infringement Claims)