知財の仕事をしていると、自然と他人の商標に対する尊重の気持ちを持つようになります。それは仕事以外の場面でもそうで、私など、しばしば普通名称であるかのように誤解されがちな商標は、日常においてもきちんと商標として認知させてあげたくなります。
特に雑誌や書籍などで記事を書くときには、商標と普通名称の区別がつくような表現を心掛けています。以前、日本のトイレのハイテク性について書いたときには、自動でお尻を洗ってくれるトイレのことは間違っても「ウォシュレット」とは書かずに「温水洗浄機能付便座」と書くようにしましたし、歩数を計測してくれる機器について書きたいときには「万歩計」ではなく「歩数計」と書くでしょう。個人のブログやSNS、私信などでも気を遣ってしまうのは、ちょっと仕事に意識を支配され過ぎでしょうか。
別に、刊行物などの文中において、登録商標を普通名称であるかのように使ってしまったとしても、日本を含めほとんどの国のほとんどのケースでは何らの違法性もありません。でもまぁ、気を遣ってあげることも大事ではないかな、と思います。
ところが、文章を書くときにはこんなに注意を払っている私でも、日常会話においてはとっさに普通名称が出てこない商標は多いです。今書いた「温水洗浄機能付便座」、「歩数計」ですら、とっさに口に出せるのか、口に出したところで意味を理解してもらえるのか、ちょっと自信がありません。
先日、歯医者に行って、衛生士さんから「普段、歯のお手入れは何を使われてますか?」と言われたんです。私は小林製薬の「糸ようじ」を使っているんですが、普通名称で言おうと思って「歯間ブラシを使ってます」と答えました。すると衛生士さんが、「先に毛がついているやつですね?」と言うんです。どうやら「歯間ブラシ」とは先がブラシ状になっている歯間清掃具のことを指すようで、「糸ようじ」はその語義の範疇から外れるようです。じゃ、「糸ようじ」の普通名称って何なんだ?
分からなかった私は、「あのー、それじゃなくて、あのー……糸ようじです……」と答えるしかありませんでした。すると、意図を理解した衛生士さんが、「じゃあこの糸ようじを使ってみてください」と、家で使っているものとは違う“糸ようじ風”の歯間清掃具を持ってきたのです。ここで私が、「『糸ようじ』は小林製薬の登録商標で商品名なので、厳密にはこれは『糸ようじ』ではないですけどね」などと言おうものなら、確実に「なんだコイツ」と思われ、健康な歯を8本抜かれる可能性があったため、私は黙って従いました。
その後も、「他には何をお使いですか?」と問われ、「あのー、ブクブクすると歯周病を防げる薬のような液体の、あのー……システマです……」と答える場面もあり、「普通名称って出てこないもんだなー!」と、自分のボキャブラリーの貧困さを棚に上げて、商標管理の難しさに思いを馳せたのです。歯を削られながら。
私は、商標の普通名称化に悩む企業各位に言いたいです。®マークをつけたり、辞書やメディアにクレームしたりするのもいいんですが、「その商標に対応する普通名称」を広める努力こそ、商標の普通名称化対策には有効なのではないでしょうか? 普通名称が難解で、とても一般に広まりにくそうなら、簡易な普通名称を考案するところから始める必要があるでしょう。あと、虫歯にならないように毎日よく歯を磨いて、定期的に歯科検診を受けましょう。
※「ウォシュレット」、「万歩計」、「糸ようじ」、「システマ」は登録商標です。よろしくお願いいたします。