中国への商標出願を経験した人であれば、それがややこしい制度であることは十分承知しているはずだ。例えば2012年、「iPad」商標をめぐるアップル社の紛争では、アップル社が中国で商標を使用する前に中国の権利者から登録商標を買い取るために、和解金として4000万ポンド(約65億円)を支払った。この中国企業は厳密には商標権侵害者ではなかったが、アップル社が「iPad」商標に関心を持つ前に商標を登録しており、中国の先願主義が引き起こした問題の一端を浮き彫りにした。
中国で登録商標の保護を求める際の大きな問題は、先願主義の制度を悪用しようとする商標権侵害者等による「不誠実な」商標出願の数々である。知名度のある高級ブランドの所有者にとっては、これまで頭痛の種となってきたが、現在、中国当局は、法律と慣例を変更することによって、悪意の商標出願を排除し、悪意ある行為を行う不法占拠者の抑止力として機能するよう、問題を緩和しようと努めている。
今回の改正草案の背景にある目的は、中国の新しい法律案の第1条に示されており、特に商標権者の正当な権利と利益を保護し、消費者の利益および社会的公共利益を保護することを目的としている。この改正草案が成立するまでには少なくともあと3~5年かかるが、多くの合法的な商標権者にとって、この改正草案は喜ばしいものだ。以下では、改正草案の主な変更点についてコメントする。
悪意の主張は重大
悪意のある出願人に対する救済措置を強化する改正草案は、前向きな展開であり、大いに歓迎されるべきものだ。しかし、悪意の主張の特性と、それに伴う立証責任の高さを考えると、この改正草案が実際に機能するかどうかはまだわからない。立証が成功するかどうかは、おそらく、悪意を示すのに必要な証拠の程度に左右されるのだろう。
罰金額の引上げ
悪意のある出願人に対する罰金額の引上げは喜ばしいことだ。効果的な抑止力として機能するためには、罰金額を高くする必要がある。例えば、中国の模倣品業者が利益を最大化するために商標の不法占拠を副次的な手段として利用しているような場合はなおさらだ。改正草案の第32条では、商標登録出願又はその他の商標業務を行うために申告した事項と重要な事実で虚偽の情報を提供したり、虚偽の資料を提出した出願人に最高10万人民元(約200万円)の罰金を科す可能性があるとされており、非常に厳しいと思われるが、中国の登録簿から悪意ある出願を一掃するという目的において、悪意ある出願人を抑止する鍵となることが期待される。悪意ある行為に対して、最低5万元(約100万円)、最高25万元(約500万円)の罰金を導入することで、悪意ある出願の件数が減少することを期待している。
捏造される使用証拠
改正草案では、登録商標について5年ごとに使用証明書を提出する義務の導入が提案されている。これは、未使用の商標に対する不使用取消請求の必要性を回避すること以外には、特に有用な手段とは思えない。さらに懸念されるのは、中国では取消請求への抗弁として捏造された使用証拠が頻繁に提出されることだ。これは、問題の商標が実際に使用されていなくても、使用供述書が依然として提出されることがあることを示唆している。米国では、不正登録の増加に関する同様の問題に対処するため、最近、米国商標近代化法が施行された。米国特許商標庁(USPTO)は、同様の不正見本に対抗するため、商標見本の真正性を分析するために、高速画像マッチングやAI支援フィルタリングを含む多くの方法を展開した。商標見本のチェックがどれほど厳しくなるのか、また、中国商標局が米国と同等の技術(もしあれば)を使用するのかどうか疑問に思う。改正草案では、使用証明書の「抜き打ち検査」が行われることになっている。その程度にもよるが、悪意の商標登録と真正な商標登録が効果的に判断されることが期待される。
著名な商標
知名度の高いブランドは、しばしば商標権侵害の標的になってきた。今回の改正草案では、取消事由を拡張し、先行する馳名商標(日本の著名商標に相当)との抵触を含めるとともに、異なる商品・サービスに対する権利行使の可能性を含め、これらの保護を強化することが提案されている。これは明らかに前向きな展開であるが、商標が著名であることを示すために必要な証拠を明確にすることは価値があると思われる。例えば、第10条の下で追加的に考慮されると思われる「商標の価値」を証明するために、どのような証拠が必要になるのか。
さらに、馳名商標の保護を拡大するために「希釈化」を導入することを考えると、これを立証するためにどのような主張や証拠が必要になるか、この点での立証責任は高さなど不明である。有名ブランドは数多くあるが、過去の経験から、そのすべてが現行法で設定された高い証拠能力を満たすとは限らない。
違法な再出願の禁止
悪意や防衛的な出願の数を減らすことを目的とした改正草案は喜ばしいことだ。商標の再出願の禁止は非常に歓迎すべきことで、第三者が先に出願した商標に対して不使用取消請求を行っている間に、同じ商標を再出願するという問題を解決できることが期待される。もちろん、第21条の例外規定に引っかかるような正当な再出願の例もあるだろうが、それをどの程度厳格に解釈するかによって、この改正草案の有効性が決まると思われる。例えば、許容される再出願が網羅的にならないかどうかなどだ。
審査の一時停止
改正草案では、関連する取消(不使用)請求の結論が出るまで、係属中の商標出願の審査を一時停止することを認めている。このような状況は、商標出願に対して審査官から脆弱な先願権が示され、当該先願権に対して不使用取消しが請求された場合によく起こる。このような場合、出願審査が取消審査よりも早く終了し、出願商標の登録が拒絶されることがよくある。そして、不使用取消請求が成功したのちには、新たに出願する必要が生じる。今回の改正草案により、多くの合法的なブランド所有者が、より効率的かつ費用対効果の高い方法で登録制度を利用することができるようになると考えられる。
中国における電子商取引とソーシャルメディア
電子商取引、インターネット上の使用証明に関して、オンライン上の使用と侵害の現実に合わせるという改正草案は、非常に前向きなものだ。オンライン上の商標権侵害のケースは、従来よりもはるかに強力な法的根拠を持って侵害を立証できるようになるだろう。しかし、オンライン上の権利侵害と、中国政府によるインターネットやソーシャルメディアの検閲の間に、特に欧米企業にとって、いくつかの潜在的な矛盾があるように思われる。この2つがどのように影響し合うのか、また、この種のケースが新しい法律の下でどのように扱われるのか、興味深いところだ。
商標手続きの合理化
異議申立後の審判手続きの廃止は、商標手続きの合理化とコスト削減を目的としている。異議申立に成功した場合、出願人がその決定に対して不服があるときは、人民法院に行政訴訟を提起する必要がある。しかし、この場合、出願人(特に外国の出願人にとって)は、現行の審判手続きに比べて、しばしば高額で官僚的な手続きとなる裁判所に出向かなければならず、出願人にとってあまり魅力的なこととはいえない。
先使用者
先願主義の観点から興味深い改正草案は、類似商品の使用のための登録に先立って「一定の影響力」を獲得した同一または類似する商標を、使用者と後願人が共に使用する場合の「先行使用」の導入だ。このような場合、商標権者は使用者が元々使用していた方法で商標を使用し続けることを禁止することは許されないとされている。しかし、先行使用の「一定の影響力」がどのように解釈されるかは不明である。さらに、どのような場合でも、権利者が商標を区別するために別の要素の追加を要求できるのであれば、この改正草案の価値はどうなるのだろうか。しかし、全体的に見れば、合法的な善意の使用を妨げる権利の乱用を防止するための正しい方向への前向きな一歩と言えるだろう。これが以前からの法律であれば、アップルはおそらく「iPad」商標をめぐり、もっとより良い経験ができたかもしれない。
法を順守するユーザー
商標権の乱用防止は、侵害に対する防御に大きな影響を及ぼすものだ。これは、英国の1994年商標法に似ており、「商業における通常の慣行」と見なされる場合、自己の名称の使用、記述的な使用、物品の機能を示す使用(誤解を招く場合を除く)に対する抗弁を規定するもので、英国の工業または商業に関する誠実な慣行に沿った使用という要件と似ているように思われる。繰り返しになるが、これらの改正は、中国の商標制度を悪用する不誠実なユーザーと戦う上で前向きなものであり歓迎すべきことだ。
代理人に対する規制強化
中国の代理人の大多数は、専門的かつ倫理的な方法でサービスを提供しているが、そうでない代理人もおり、そのような代理人に対する規制や管理が強化されることは良いことだ。もし、中国の商標代理人が倫理的な規範や慣行に違反すれば、責任を負うという規定があるのは喜ばしいことだ。
中国で提案されている商標法改正草案が今のままの形で実施されるかどうかは不明だが、上記の点に関する今後の動向を引き続き注視したい。