こんにちは、鈴木三平(仮名)です。食品業界等で商標を担当していました。テーマは「イタリア料理の商標あれこれ 100選」、と題して連載を開始したいと思います。
はじめに、そんな商標ネタが100件もあるのかと思われる方も少なくないと思いますが、あるのです。一話で複数を取り上げるときもありますが、しつこく100件続けるつもりです。今やイタリア料理は、日本人の食生活の一部を担っているといえますが、その陰では、無名の商標担当者たちが、「困った商標」に関する出願の登録を防ぎ、無効にし、権利行使から逃れる手段を講じていたのです。そんな、人知れずの地味な奮闘が、おいしくおしゃれで健康的な料理等の普及にも寄与していたのであります。本音をいえば、イタリア料理の商標の世界、「豊かな天然のネタ」が少なからず埋もれているので、イタリア料理同様、余計な味つけは必要ないと思っています。
さて、トップバッターとして相応しいのは、90年代に突如現れ、大ブームとなった「ティラミス」なのかと。
1.辞書情報
イタリア料理用語辞典
tirami su, tiramisu [ティラミ・ス ティラミス]
(町田亘・吉田政国編『イタリア料理用語辞典』白水社 1992年初刷 175ページ)
男 マスカルポーネチーズをベースにした柔らかいデザート菓子.
2.商標の状況
1988年に、商標「Tirami su\ティラミ スー」が商標登録出願され、89年に商標登録されている。その後、第三者の「テイラミスイルメーリオ」も登録されている。
3.その他情報
(1)吉川敏明『ホントは知らないイタリア料理の常識・非常識』 柴田書店 2010 156ページ
「「Tirami su」は日本のイタリア料理史上、まれにみる大ブームになりました。イタリア語では「ティーラミ・スー」と発音しますが、「私を元気にして」というずいぶん風変わりな名前です。
(2)ウェブ情報
「HE GOLD 60」のウェブサイトによれば、「ティラミスブームのきっかけは、「Hanako」(マガジンハウス)1990年4月12日号で、「イタリアン・デザートの新しい女王、ティラミスの緊急大情報 いま都会的な女性は、おいしいティラミスを食べさせる店すべてを知らなければならない。」という煽情的な見出しで、レストランを紹介したことです。」「「女性自身」(光文社)も同年4月17日号で、ティラミス特集をしています。影響力のある情報誌と全国誌がほぼ同時に取り上げたことで、ブームは一気に盛り上がっていきます。(阿古 真理)」とのことである。
https://gentosha-go.com/articles/-/58971#google_vignette
(3)新聞記事(ヨミダス・読売新聞)におけるキーワード「ティラミス」の検索結果
最初が88年に1件、90年に9件、91年に19件と一気に件数が増加し、ブームを迎えている。その後停滞したものの、昨今は定番品として定着したのか、それなりの件数が維持されている。
新聞記事検索は、時期を特定するのに極めて有用だが、産業・生活面のバランス、表現も相対的に偏りが少ないと思う読売を使うことにした。ノイズは取り除くように努めたが、見落としがあるかもしれない。また、原則として、綴りの「揺れ」も含む形で検索したが、漏れもあるかもしれない。
4.コメント
上記のイタリア料理用語辞典は、(1)の商標登録よりも約3年後、1992年(11月)発行ということもあり、登録の89年時点では、「ティラミス」はかなりのマニアにしか知られていなかったのかもしれない。審査官は、「商標として機能するものか」どうかについて判断して登録の可否を決める。「商標として機能する」とは、その商標が「その商品やサービスの出所を示す機能がある」程度の意味である。「商標として機能しない商標」とは、「需要者が何人かの業務に係る商品又は役務であることを認識することができない商標(商標法3条1項各号、6号で包括)」であり、原則として審査・登録時点でそのような機能がないものは、商標登録を受けることができない。「ティラミス」は、この時点では需要者にどんなものをいうのか、あまり知られてなかったから、商標として機能しないとまではいえないから登録してもよいという判断だったのかもしれない。
さて、菓子に関する「Tirami su\ティラミ スー」の登録、ティラミスは洋菓子であり、例えばカップ入りの「ティラミス」と書いたデザートをコンビニで売ったら、少なくとも形式的には商標権の侵害である。レストランで出されるデザートは「商品」ではないとされているから権利範囲外だが、業者が店に供給する原材料や製品に「ティラミス」と表示するのも、アウトの臭いがする。そんな状況だとすると、「ティラミス」の普及までもが妨げられそうだ。
しかし、90年に「ティラミス」のブームがあり、その頃、間違いなくスーパーやコンビニ、家や職場の近くのケーキ屋さんでも「ティラミス」が売られていたはずである。それでも商標権侵害訴訟は起きていなかった。訴訟でなくとも、仮に「ティラミス」使用者からライセンス料を取れていたら、莫大な額になったはずであるが、そんなニュースも聞いたことはないのである。
たぶん、上記雑誌等の特集により、(1)の商標権者も、この登録商標が、一気に商標としての機能を失ってしまって権利行使ができなくなったものと悟ったのだろう。いや、ひょっとすると、この権利をずっと更新・存続させているから、水面下では多少何かがあるのかもしれない(このあたり、権利の有効性や権利行使の可否については、後日もう少し検討したい)。
実のところ、当時の商標調査は無料なものはほぼ皆無で、きちんとやれば1件1万円を越え、法的鑑定でももらえば3万円はかかりそうであるが、このような「まさかの登録商標」に気付かずに(まさかと思って調べずに)、「ティラミス」を販売していた者がほとんどであろう。仮に当時、調査が容易、かつ、下手にコンプライアンスの概念が入って来ていたら、「ティラミス」は使ってはいけないということで、ブームは「未然に防止」されてしまったに違いない。
そんな「商標としての機能」を失っていることを、人知れず可視化したのが(1)とは他人の(2)の出願・登録である。なんと、指定商品「ティラミス」が認められている。指定商品はその商品の一般的な名称を書かなくてはいけないので、少なくとも審査官は(1)の登録から約3年後の92年(6月)には、「ティラミス」を商品の一般的な名称として認めている(出願公告の決定)。商標権侵害を判断するのは特許庁ではなく裁判所ではあるが、この状況で(1)の商標権者の立場で考えると、(2)のような「ティラミス」と表示した洋菓子類に対して商標権侵害を主張することは、なかなか困難である。ということで、(2)の出願人(の商標担当者)の隠れたファインプレーなのである。一消費者としても感謝しかないのである!
仮に(2)の審査官判断後に商標調査を行った第三者がいれば、「少なくとも現在の審査で、「ティラミス」は「商標として機能しない」と判断された」と理解でき、使用に踏み切れたはずである。もっとも、(2)の審査・登録は時期的には遅いし、当時は「知る人ぞ知る登録商標」だったともいえそうだから、「この担当者のファインプレーが日本におけるティラミス市場を支えた」とまでいうのは、言い過ぎかもしれない。
その後、シンガポールの商標「ティラミスヒーロー」の横取りが登録無効になった事件(商願2017-074462;無効2020-890007等)が、商標界では多少話題になったが、食品業界的には、これら「ティラミス」そのものの商標の動向のほうが、はるかに影響が大きかったと思うのである。
<注>
構成は、「1.辞書、2.商標の状況、3.その他、4.コメント」とした。商標・イタリア料理・調査、いずれのプロからも、「半人前」だとの集中砲火を浴びるかもしれないが、多少不十分な点があろうとも、面白いと思える発見があれば幸いである。商標についても、時代によっては情報が薄いところもあり、間違っているところ、私の知らないネタがあれば、「タレコミ」は大いに歓迎したい。
なお、出願人、権利者は表示せず、紹介する商標中に、各社のブランドマークにあたる部分がある場合にも、”Trademark”という表示とする。記した番号から調べればすぐ分かることであるが、筆者のいた会社も含めた当事者等が悪者にされる等、話題があらぬ方向に逸れることを少しでも避けたいからである。
*「指定商品又は指定役務」は、問題となった部分のみで、全部を表示していないことがある。
*「消滅」は、存続期間(分納)満了、拒絶査定・審決、取消の日等で、確定の日でないものもある。
* 番号は出願番号と、あるものは異議・審判番号のみとし、登録されたものも、登録日のみとして、その番号は省略した。
次回は、今となっては「まさか」の登録商標「Margherita\マルガリータ」について扱う予定。