暗号資産の世界には、「not your keys, not your coins(鍵を持たぬ者はコインを持たず)」という格言がある。これは、暗号資産へのアクセスを可能にする秘密鍵(パスワードのようなもの)を自ら保有していなければならないことを意味するもので、例えば、暗号資産が取引のプラットフォーム上に保管されており、利用者自身が秘密鍵を保有していないのなら、その暗号資産を真に所有しているとはいえない。
暗号資産の世界では、資産への直接的なアクセスと独立性が極めて重要であり、これこそがビットコインやその他の暗号資産の根本的な出発点でもある。
秘密鍵の安全な保管ソリューションを提供する企業として特に著名なのがフランスのLedger社である。Ledger社は、高度に保護されたハードウェアウォレットを通じて、利用者が暗号資産およびデジタルキーを安全に管理できるサービスを提供している。
もっとも、この社名・ブランド名は偶然選ばれたものではない。「ledger」という語は、金融取引や会計上の取引を記録・管理するための仕掛け、アプリケーション、オンラインサービスを意味するもので、まさにその点こそが、欧州連合知的財産庁(EUIPO)がLedger社の出願商標「LEDGER WALLET」の登録を拒絶した理由であった。
EUIPOによれば、「LEDGER WALLET」という商標は、指定した商品・サービスの内容や用途をそのまま示しているにすぎない。「wallet」という語を付加しても、需要者に独創性を与える組合せや識別力のある表現が生じるわけではなく、取引の管理、保護、保管または実行を可能にする商品・サービスを指す一般的な表示にとどまるという。したがってEUIPOは、出願商標を二つの記述的な単語を結合したものにすぎないと判断した。
Ledger社はこの査定を不服として審判請求した。過去に「LEDGER」 という文字商標が登録を認められている以上、「LEDGER WALLET」 も同様に認められるべきであると主張した。
しかし、この主張は斥けられる。EUIPO審判部は、本件で問題となるのは既存の「LEDGER」商標ではなく、「LEDGER WALLET」という別の商標であり、商標の識別力は固定的なものではなく、時の経過とともに強くなることもあれば、逆に弱まることもあると指摘した。
それに対して、Ledger社は「LEDGER」という要素自体が既に商標として広く認識されていると主張し、その名声を示す証拠として、フランス、ドイツ、ベネルクス、スペイン、イタリアにおける使用実績や認知度に関する資料を提出した。
一般的に、記述的な標章であっても、継続的な使用によって識別力を獲得することがある。その場合、関連する需要者はその記述的表示を単なる商品の説明ではなく、商品の出所を示すものと認識するようになる。
しかし、EUIPOが指摘したように、ある標章が広く知られているという事実のみをもって、直ちに関連する英語圏の需要者がその標章を商標として認識しているとまでは立証されない。本件では、「ledger」という語自体が英語の一般名詞であるため、英語を理解する需要者の認識こそが決定的に重要となる。
Ledger社にとって、審決は歓迎し難いものである。単に「LEDGER WALLET」の商標登録が拒絶されたにとどまらず、この判断は、Ledger社が既に保有している 「LEDGER」商標の登録にも疑義を投げかけられる可能性があるからだ。すなわち、登録商標を改めて評価することで、「LEDGER」商標自体も記述的であり、無効審判の対象となり得るのではないか、という問題が浮上し得ることになる。
